田舎と都会

都会は便利で楽しい、田舎は何もないからつまらない、という田舎民の妄想

地元の田舎で働気始めて3週間が経った。

一年前、私は東京に住み、神奈川で働いていた。毎日胃が痛くなるようなプレッシャーと忙しさ。あれは正直自分に合っていなかったんだと思う。電車に揺られるサラリーマンの疲弊した顔はいまや懐かしい。

 

「都会は便利で楽しい、田舎は何もないからつまらない」という都会への妄想は田舎民特有のものだ。実際に住んでみるとそれは半分アタリで半分ハズレだ。「いや間違いはない。田舎には帰りたくない」というのも分かるんだが、それは洗脳に近い。

都会は便利だが疲れる。いや、本当に便利かどうかも怪しい。

街に出れば似たようなお店が無数に並び、いつも流行りの商品が並び我々は一時的に興奮する。飲食店もたくさんある。人は一日で選択できる回数は限りがあるといわれるが、選択のキャパシティの小さい私はおそらく午前中でストックが切れてしまう。

こんな都会は本当に便利なんだろうか?電車も都内にぐちゃぐちゃと張り巡らされているが、そんなに行く必要のあるところはあるのか?そんないろいろなものを腹いっぱい食べて、満足なのか?選べるって幸せなのか?

田舎だってスーパーはあるしインターネットもばっちりつながる、食べたいものは作ればいい。ちゃんと作ればお店より何倍もうまいものができる。

また、ほしいものはアマゾンで大概手に入る。ディズニーランドとかそういうのは田舎にないが、新幹線やら使えば2時間もあれば快適に到着するし、そう毎度行く場所でもないのなら、近くに据えておく必要もないんじゃないか?宝の持ち腐れが多い気がするのだ。近くに常に置く安心感は洗脳みたいなもので、保険やそういうのに似ている。

田舎らしい魅力的な街づくりとはどんなものか

 

都会は地価が高いから作ることより消費のほうが比較的お金がかからない。

都会人は宣伝のおかげである程度の知識は田舎民より持ち合わせてる。お金があればなんでも手に入るし、なんでもできる(と思い込んでいる)。

つまり、お金がないと何もできない。

都会はそういう仕組みになっているから仕方がない。

逆に田舎民は宣伝が少ないと消費ではなく創造に集中できる。なぜなら情報が少ないからだ。宣伝ばかりが目にはいると、視界からの情報が多すぎて、考える暇がない。ノイズが多すぎて複雑なように感じてしまう。

いや、田舎にもデメリットはある。

田舎民はテレビが大好きだ。テレビはくだらない番組が多く都会の人気スポットなどの情報が流れるからテレビの画面越しに都会をみて憧れを抱く。そして都会はいいなあと思うのだ。多くの若者はそんな感じだ。そういう需要があるから、中途半端に持ち込まれた都会の産物が、地方都市に流れ込んで地方がますますおもしろくなくなる。なんというか、資本主義なんだなあと、なんとも言えない気分になる。

田舎らしい魅力的な街づくりとはどんなものか。その街や村に最適な手段で進化した文化、伝統を守りながら、大資本に犯されることなくさらに進化し続けること?とまとめておこう。